ほんとうに「肉体」と「意識や私」は分離が可能なのでしょうか。
その前に本当に「脳」が「意識や私」を作っているのでしょうか。
いまから25年前の経験について話したいと、思います
利己主義的な考え方で問題の解決を図っていた若い頃です。
当然上手くいくわけもなく益々、問題はひどくなっていきます。
自分の中では、なぜ思い通りにならないのかが理解出ませんでした。
長い期間に苦しみながら、ついに絶望にたどり着きました。
それでもなお、受け入れがたく納得できず、考え続けていた時に
それはおきました。
「脳の暴走」です。
頭の中の「考え」が止まらなくなったのです。
ただ速度を上げながら意味不明な記号の羅列や数字の中を考えが駆け巡り続けるのです。
「止めないと、止めなければ」と必死に「意識」内で叫び続けたが止まりません。
「感情」は恐怖のあまりパニックとなり、制御出来ません。
とにかく「いったん外へ出るべき」として近所を徘徊しました。
「止まってくれ」を繰り返しながら歩いているうちに徐々に回転速度が遅くなり、
ついに停止してくれました。
時間にして30分ぐらいの暴走でした。
「何だったのか」全くわからず地獄のような時間でした。
あのまま止まらなければ、まちがいなく脳が壊れていました。
この延長線上に精神的な病の発症があるのかもしれません。
脳の考えが止まらない状況下でも「意識」は正常に存在していたので
「暴走脳」の中のおかしな別の「意識」も確認できました。
私は短時間で戻れましたが長時間続いていた方は戻れないし、
おそらく、早い暴走や遅い暴走の中で二つの意識を感じる可能性が
あるでしょう。
しかし暴走脳で生まれる「意識」はあきらかに別人であって、小さなな存在です。
本来の「意識」が俯瞰的で体全体を把握しているのに対して
それは脳内のみに存在する別人格の他人です。
未完成な「意識」みたいなものです。
それでも二つの「意識」に会話的な状態が生まれ、
独り言が繰り返される症状も理解できますし、
「意識」側は正常でも暴走脳とのギャップの苦痛から
奇声をあげてしまうことも想像できます。
体感的なものなで証明はできませんが
本来の「私」は脳の外側に存在しています。
「体感」「本能」「感情」は、意識を生み出す材料であって、
「意識」そのものではありません。
外観察から「意識」を捉える事は可能なのでしょうか。
仮に脳が「私」や「意識」を作り出しているとしたら、始まりはいつでしょうか。
胎内で脳が完成した時でしょうか。
それとも生まれた後に成長過程で作り出されるのでしょうか。
最早、記憶を辿る事の出来ない私には答が出せません。
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