「自我」

 人間は、偶然の産物で終わりは「無」であり、全ての消滅が答えでしょうか。

それとも人間だけが特別で「あの世」と呼ばれる世界が存在するのでしょうか。

当たり前ですが「あの世」の証明を出来る人はいません。

信じる思いは証明にはなりません。

普通に考えれば「私」や「意識」や「感情」は脳がつくりだす

電気信号やエネルギーとしてのもので人間の終わりと共に消滅するのが答えでしょう。

終わりが「無」であっても恐怖はありません、ある意味、本当に終れるのですから。

ただ「無」に至る「苦痛」や「老化」は恐怖です。苦しさや痛みは短いほうがありがたいです。

ですから 「あの世」があろうが、なかろうが、どちらでもよかったのですが、

なぜか不思議な記事を見つけてしまいました。

 「前世の記憶をもつ子供たち」の記事です。

家族と共に記憶をたどり、それが実証されたとの記事です。

共通項としては成長過程において前世の記憶を失ってしまうとの事です。

これが事実なら少なくとも「意識」と「肉体」が分離できる事の証明となります。

肉体の終わりに分離した「意識」が何らかの次元を経て

未来の肉体へと転生できたことになります。

しかし、ほとんどの人は「前世の記憶」など持っていません。

そうなると仮に「生まれ変わり」があったとしても遺伝子の違う脳や肉体、

記憶まで失うのであれば最早、別人です。

前世も同じで今の私と違う考え方、違う肉体能力で、違う時代で生きた彼は

やはり別人ではないのでしょうか。

もしかすると植物の種のようなものでしょうか。

「私」という個の概念だけが繋がって行くものなのでしょうか。

「私」を中心に「意識」があり、「感情」「本能」が入交り、

一つの「意識体」を構成しています。

核となる「私である」と言う「自我」だけが繋がって行くものなのでしょうか。

同年、同日に生まれた他人と私が入れ替われば、彼の考え方や生き方が私の人生となり、

私の考え方や生き方が彼の人生となるのでしょうか。

仮に時間の概念がない次元があるとすれば

同じ人生を何度も繰り返している事も考えられます。

今、見ている他人の人生が私の前世や来世になる可能性も考えられます。

しかも未来が確定している事が前提になり、

過去、現在、未来が常に存在している事になります。

「私」であるという個の概念は唯一のものです。

常に存在している過去と未来にいる「私」は他人の「自我」である必要があります。

完成された物語の中でプレーヤーだけが変わってゆくゲームなのでしょうか。

未来の確定は「宇宙や地球の現象、事象の全ての法則」を知ることができれば、

大枠としての未来は確定するでしょう。

しかし未来への不確定要素として人間の「自由意志」があります。

この「自由意志」が本物であるなら、完全な未来の確定も存在もあり得ません。

少なくとも人間個人の未来は確定しません。

また「自由意志」そのものが架空のもので、遺伝子や脳による

反応で生み出される決定物だとしても同じで

遺伝子の違い、脳の能力差異によって答えは変わるはずです。

やはり未来の確定はありません。

これも極論として「万物全ての法則」が解明され、正確な未来予測が可能に

なってしまえば人類の選択肢は一つとなり「自由意志」など

必要なくなるかもしれません。

しかし今は「自由意志」は「ある」「ない」の段階ではなく、「必要」な時代です。

やはり「自由意志」は存在し、個人の未来は未確定でしょう。

仮に「私」や「意識」が脳によって生み出されているとしても

それが人間の全てであり、個人の核である事に変わりありません。

そして「前世の記憶をもつ子供たち」の記事では、

いずれも近未来へ「意識」が移行しています。

やはり時間の概念は不変なものなのかもしれない。

でも横の時間軸は同じ流れでも、縦の時間軸が異なる別次元があるとしたら

変わってきます。

始まりの時が異なり、ゴールとなる未来の目標地があるなら、

過程の異なる縦の時間軸が無数に存在しているかもしれない。

死後から生まれ変わる間となる次元があるとしたら、他次元の存在もありえます。

今の私たちに近い次元もあれば、古く長い歴史を経験してきた

宇宙人の次元もあるのかもしれない。

ただ高度に進化した宇宙人であっても生物としての肉体的な限界を超えて

何万光年の距離を短縮し地球に現れることは不可能に思います。

しかし肉体と意識を分離できる技術があり、「意識体」のみでの地球到達は

可能性があります。

多く発見されているUFOも内部では形の見えない

「意識体」での存在があるのかもしれません。

そう考えると今の地球人との肉体的交流は不可能な気がします。

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